かつて、PRIDE、K-1がゴールデンタイムでテレビ放送をしていた『格闘技黄金時代』に、大活躍をした魔裟斗選手。
現在でも、格闘技の解説者として活躍し、InstagramやYouTubeなどの各種SNSも駆使し、いまだたくさんのファンを抱える元格闘家・タレントです。
そんな魔裟斗選手ですが、現役時代も凄い体つきではありましたが、引退した今でもなお、素晴らしい体つきだと評判のため、どのようなトレーニングでその強靭な筋肉・肉体を手に入れたのかを紹介します。
そのころ、格闘技といえばヘビー級(最重量級)が主要階級であり、大男達の筋骨隆々な体つきとパワーから繰り広げられる戦いが大衆に受け入れられていた時代に、魔裟斗選手は、スピードと華やかさで盛り上げ、『中量級』というジャンルを確率しました。
魔裟斗(まさと)とは?
魔裟斗と書いて”まさと”と読みます。見た目の通り、肌はこんがり焼いており、カリスマ性のある顔立ちをしています。かつては、”反逆のカリスマ”といわれるほど、反骨精神が旺盛なイケイケカリスマキャラとして、大活躍しており、特に女性ファンが多くいました。
当サイトでは、あえて魔裟斗”選手”と呼称させていただきます。
魔裟斗選手は1979年3月10日生まれの千葉県柏市出身の元プロキックボクサーです。
キックボクシング団体『K-1』では、K-1 WORLD MAX 2003 と、 2008 の世界王者になるなど大活躍をしました。
本名は 小林 雅人(こばやし まさと)というで、かつては本名をリングネームとして試合を行っていたこともあります。
また、過去には『藤 山海山(ふじ さんかいざん)』というリングネームを使っていたこともあり、現在のリングネーム(タレント名)『魔裟斗』であることを考えると、黒歴史のようなリングネームとなっております。
魔裟斗(まさと)の生い立ち
魔裟斗選手は、千葉県の柏市で4,700gの大きな体で産まれました。
そこからすくすくと育ち、小学校2年生の時に、両親の都合により沖縄へと引っ越すことになります。
そこから6年生まで沖縄の地で育った後、また、両親の都合で引っ越すことになります。
この時の引っ越し先は埼玉県の朝霞市であり、小学校6年生から高校生までここを拠点に生活することになります。
高校は、スポーツの名門校である埼玉栄高校に進学をしましたが、途中で中退し、中退後は10を超える職業を転々とする日々を送ります。
魔裟斗(まさと)の格闘技人生
魔裟斗選手は、埼玉の朝霞市にいた15歳の頃、ボクシングジムの名門であるヨネクラボクシングジムに入会し、ボクシングテクニックを身に着けます。
プロテストを受けるほど、技術を習得しますが、プロテストを土壇場でキャンセルし、キャンセルしたまま、ジムを去っていくこととなりました。世間的には”飛ぶ”という状況であります。
そのあとは、17歳の頃、キックボクシングに目覚め、藤ジムに入会し、目まぐるしい成長を遂げていきます。
魔裟斗の格闘技・K-1人生
魔裟斗は、17歳でキックボクシングをはじめ順調に技術を身につけていきます。
プロデビュー戦は1997年3月23日に全日本キックボクシング連盟で行い、竹原太選手と戦い、1RでKO勝ちを納めます。
その2か月後、今では記憶に残っている方も多いでしょう、小比類巻貴之選手と対戦し、度重なる膝蹴りによって、3RでKO負けをしてしまいます。
両者共にデビュー2戦目であったにもかかわらず、ファイナル、セミファイナルの試合がキャンセルされてしまい、繰り上げによってファイナルを飾ることになります。
この試合は、後半の試合が無くなってしまったことと、魔裟斗のルックスの良さがあって、『格闘技通信』では魔裟斗の入場シーンを1P掲載するなど、これまででは考えられない扱いでした。
その後、魔裟斗の試合出場拒否や、藤ジムおよび全日本キックボクシング連盟からの退会、各道場の間借りによる練習というつらい状況を経て、『シルバーウルフ』に所属し、K-1へと主戦場を動かしていきます。
K-1に主戦場を移すと、2002年のK-1 WORLD MAX 日本代表決定トーナメント決勝では、小比類巻選手に判定勝ちをし、リベンジを果たしました。
世界一決定トーナメントでは、準決勝にてアルバート・クラウスにダウンを奪われ判定負けを喫し、控室へ向かう途中に号泣するほどの悔し涙を流しますが、翌年、2003年には日本代表決定トーナメントを優勝し、世界一決定トーナメントも順調に勝ち進み、決勝は同じアルバート・クラウスにKO勝ちし世界王者となりました。
その後、ブアカーオ、山本”KID”徳郁、アンディ・サワー、佐藤嘉洋などの強豪が出現し、死闘を繰り広げました。
自身の引退試合では、2戦2敗している相手アンディ・サワー選手を指名し、3-0の判定で初勝利を飾り、引退しました。
魔裟斗の強靭な肉体・筋肉をつくるには
さて、魔裟斗選手は現役時代、女性から好かれるルックスに加え、強靭な肉体が大衆を虜にしていました。
現役を引退した後、一般人のようのな体つきに戻ってしまう選手が多い中、現役を退いて11年立った今でも、強靭な肉体を誇っています!
現役を引退してからの方が、特に上半身の筋肉が厚みを増して、男性的な魅力がさらに増したのではないでしょうか?
魔裟斗流・筋トレ方法とは
魔裟斗選手は現役を退いても体重は常に76kgをキープしています。
毎晩、お酒を欠かさずのみ、食事にもそこまで気を付けないといいますが、どのようにして体重を維持しているのでしょうか?
魔裟斗選手は毎朝10kgのランニングを欠かさない事と、体重計を乗る事を習慣づけています。
これによって、日々の食事による体重の増加を調整しているそうです。
体重の増加は多くとも1日で1~1.5kgほどのため、日々体重計に乗る事で体重の増加を察知し、ランニングやトレーニングで調整しています。
魔裟斗選手は、自身の最近のボディメイクについて、多少お腹に肉が乗ってもよいと考えています。
フィットネス界隈では、逆三角形の体型が理想とされますが、魔裟斗選手は格闘技のトレーニングをしていたために、腹斜筋が発達しており、ウエストがくびれずらく逆三角形を作る事は難しいと感じているそうです。
ただ、夏にはタンクトップを良く着るため、肩だけは大きくするためにダンベルやマシーントレーニングをしています。
魔裟斗の背中(広背筋・脊柱起立筋)大腿部の筋力トレーニングとは
こちらでは魔裟斗選手はデッドリフトをしています。
デッドリフトとはバーベルにウエイト(重り)がついたものを、床に置き、そこから引き上げる筋トレ種目です。
主に、大殿筋やハムストリングス(大腿二頭筋)、脊柱起立筋、広背筋に刺激が入ります。
これにより、大きな背中を手に入れることができます。
格闘家はパンチや蹴りを出す際に、地面を足で蹴りますが、デッドリフトも脚で地面から重りを押し出すように持ち上げますので、格闘家にとってもボディメイクをする人にとっても意義のあるトレーニングです。
こちらは懸垂です。
初心者は腕に刺激が入りがちではありますが、広背筋上部(肩甲骨下部あたり)を狙ったトレーニングです。
もちろん、懸垂にもやり方がたくさんあり、どこの筋肉に刺激を与えるかでフォームが変わってきますが、逆三角形の理想的な身体を手に入れるには良いトレーニング種目です。
魔裟斗の腹筋の筋力トレーニングとは
魔裟斗選手は、この強靭な腹筋を作るために、ハンギングニーレイズを行っています。
ハンギングニーレイズとは、懸垂バーなどにぶら下がり、膝を曲げながら足を胸までひきつけるトレーニングです。
これは腹筋に強烈な刺激が入ります。
魔裟斗の腕・肩回りの筋力トレーニングとは
魔裟斗選手は、家でできる腕・肩回りのトレーニングの一つとして、変形腕立て伏せを進めています。
これは通常の腕立て伏せの状態で、手の下に滑りやすい布やタオルをおいて、タオルを外側へ滑らせて上体を床に近づけ、元に戻していく腕立て伏せです。
これは通常の腕立て伏せと比べて、腕の力だけでなく、大胸筋に強烈な刺激が入るので、胸板を厚くしたい人にはとてもおすすめの種目です。
こちらは、肩周りのトレーニングになります。トレーニングジムにあるマシンで、肩を外側へ開いていく際に負荷がかかるマシンで、三角筋の後方に強い刺激が入ります。
魔裟斗選手が理想としているような、丸い肩を作るにはとてもおすすめです。
こちらは見えづらいですが、ダンベルを使ったサイドレイズです。
これは大きな肩幅、かっこいいメロン肩を作りたい人は、絶対にやっている種目です。
上半身の筋肉の大きさやかっこよさを競うフィジーク選手はこのサイドレイズで肩を仕上げ、どれだけ筋肥大をさせられるかにかかっているといっても過言ではありません。
筋トレやボディメイクをする人にとって、肩周りの筋トレ種目としては、キーポイントになる種目がサイドレイズです。
もしも、魔裟斗選手のような肩を目指しているならば、誰もが自宅にあるダンベルを用いて、ひたすら肩を鍛えましょう。
魔裟斗の筋肉・肉体になるための筋トレ方法まとめ
いかがでしたでしょうか?
魔裟斗選手は、先ほどあげたトレーニングメニューを用いて、今でも現役に劣らないボディメイクをしています。
バーベルトレーニングやダンベルトレーニングそして、パワーラック等を用いた自重トレーニング(懸垂)などによって、強靭な肉体を維持しています。
皆さんも是非、今から魔裟斗選手のような筋肉・肉体を目指してみませんか?